ねこラム

がじゅまるの木 ~31日の看猫(かんびょう)日記~ 最終回:がじゅまるの木


 

キナコが旅立ったのは小雪のちらつく三月初旬。病院でFIPと疑われてからちょうど三十一日目。一歳の誕生日まであと一日という朝でした。

前日は前の晩からの口呼吸がひどくなり、食事もせず小さな体を丸めてハアハアと口で息をし続ける姿があまりにも辛そうで、私も一睡もできずにひと晩中、小さな背中をさすり続けていました。ステロイドの効果か、幸い発作は起こっていませんでした。しかし貧血のせいなのか、元気なときは小豆色だった肉球が肌色のように薄くなっていました。さらに、体や肉球の体温が下がり始めていました。

私からの緊急連絡を受けて、夫が閉店間際の薬局で購入した湯たんぽと共に帰宅しました。それでキナコの体を温めてやりながら、夫とアズキの三人でキナコを見守りました。そして午前三時。ついに発作が起こりました。キナコは奇声を発しながら両前足で何かを避けるように、見えないなにかに怯えるように逃げ回るという異様な行動を繰り返しました。

「大丈夫。みんないるよ」

そう言って抱きしめた夫の手の甲に、突然キナコは猛烈に噛みつきました。
生まれてから一度も、私たちにはもちろん、獣医にも威嚇したことのない優しい性格のキナコとは思えませんでした。ショックでした。
闘病が始まった頃から何よりも恐れていた末期の症状、

「性格の変貌」

というものだったのでしょうか。それともキナコには恐ろしい何かが見えていたのでしょうか・・・。

疲れきったのか、キナコはそのまま横になりました。
そして午前六時。二度の痙攣のあと、キナコは虹の橋を渡りました。

翌朝の火葬の予約を行うと、我が家にあった一番良い箱の中にキナコを寝かせ、その横に一番大好きだったおもちゃ、そして病院から届けられた花を飾りました。
春の兆しが感じられる晴れた朝、キナコは小さな小さな骨になりました。
前日までの雪まじりの天気が嘘のように空は青く澄んでいました。

遺骨を抱えて戻ったリビングは冷え冷えと静まり返っていました。
たとえ弱った姿であっても、キナコがそこにいてくれるのといないのでは、まるで世界が違って見えました。
深い悲しみの中、首輪まで一緒に焼いてしまったことが悔やまれました。

昨日まで寝ていた猫ベッドに触れると、あちこちに金色の被毛がくっついていました。
集めて束にするとそれは小さな小さなキナコになりました。鼻を近づけると微かに匂いがありました。弱って体の手入れが行き届かなくなったために残ったキナコの匂い。それに混ざって色んな匂いがしました。病院の待合室の匂い、何度も耐えた点滴や注射の匂い、頑張って飲み込んだ療法食の匂い。それは、最後までキナコが懸命に生き抜こうとした証の匂いでした。

 

その夜、私は浅い夢の中の中にいました。すっかり元気になったキナコがは昔と同じように飛んで跳ねて球を取り、走り回っていました。
ご飯をもりもりと食べて、夫に

「食べ過ぎだよ」

とからかわれていました。

私は驚き、

「キナコ!元気になったの?」

と呼びかけると、嬉しそうに駆け寄ってきて、湿気た鼻を何度も手や膝にこすりつけてきて甘えました。

「私、もうすっかり元気になったよ!」

キナコが最後にそう伝えにきてくれたようでした。

きれいなお花畑

 

夫の手の甲に残された傷口も癒えてきたころ、姉がふとこんな提案を口にしました。

「がじゅまるの鉢を買ってきて、土に細かな骨を混ぜてやったら?がじゅまるの木にはね、妖精が宿ると言われてるんだって」

独特で神秘的ともいえるその見た目から、ガジュマルには昔から、キムジナーという幸福をもたらす赤い髪の毛の陽気な妖精が宿ると言われているらしいのです。たしかに、小さな妖精と称されるシンガプーラのキナコにはぴったりの供養のように思えました。

日光を好むというがじゅまるの鉢は、家中で最も日当たりのよい出窓に置くことにしました。キナコが最後まで水飲み場にしていた洗面台のコップで水を注ぐと、美味しそうに土がぐんぐんと吸い込んでいきました。

あれから、あっという間に五年が経ちました。
随分とボリュームは小さくなりましたが、今でもキナコの植木はアズキの隣で、艶々とした新葉をのぞかせています。

がじゅまるの木とアズキ

 

文/こしあんブルー

 

※FIPは研究途上で、まだ不明点が多い病気です。本文は筆者個人の体験談であり、病気の症状や進行には個体差があります。

 

※本記事は、記者の実体験に基づく記述ですが、それぞれの猫により状況が異なりますので医療行為については必ず獣医にご相談の上、進められますようお願いいたします。(猫報編集部)